リヴァープレス社
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ライフログ
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2004年6月8日、1冊の自費出版が上梓された。 書店に並べることはせず、関係者への配布のみとした。 4年近くもスキルスがんと闘い、 31歳の若さで夭逝したM子さんの軌跡を 母親のTさんがが克明に記録したものである。 T子さんとはM子さんが闘病中から関東圏でのセミナーなどで ご一緒させていただいたご縁であった。 本は、M子さんの一周忌に合わせて出版すべく編集が進められ 知人、友人からのメッセージも闘病の記録ともに収録。 途中、何度か上京し、打ち合わせを行った。 この仕事の依頼があったとき、ぼくは迷わずお断りしたのであった。 遠く離れた岩手よりも 地元の出版社との作業のほうが、作業がスムースに進むのだし それだけ費用もかからない。 しかし、本音としては、M子さんを失ったばかりのT子さん夫妻に向き合う、 それだけの力が自分にあるかどうかが、何より不安だった。 しかし、T子さんからのたっての希望で、 それから間もなく、ぼくとT子さんとの編集作業が始まったのである。 記録は、告知の日から葬儀の日までの4年間にわたって ほぼ毎日綴られていた。 記録の間に、M子さんとご縁のあった方々から寄稿をいただき、 それらを挟む編集とした。 章立ては1年ごとに「静寂」「微笑」「祈誓」「覚悟」「永訣」とし 冒頭の「はじめに」のみ、父親のKさんに書いていただいた。 親を亡くした人は珍しくはないが、子を亡くした親というものに ぼくはそれまで2人の人にしか向き合ったことはなかった。 途中、何度かの打ち合わせ時には、T子さんに上野駅まで来てもらい 構内のレストランで話をし、そのまま盛岡に帰る、という繰り返しであった。 ぼくはその都度 気丈かつ冷徹に話を聴き、事務的に作業を整理し、帰途についた。 無意識のうちに上下の関係をつくって自分がその上に立ち 仮にも、彼女をかわいそうだと認識し 癒してあげたいという立場に立ってしまうことの 傲慢さを持つことを全力で排しながら センチメンタルに陥ろうとする自分と必死で闘っていた。 ぼくにできることは、この仕事を成し遂げることと、 M子さんとそのご両親の前に、ただ「居る」ことだけであった。 それでも、新幹線のホームで、あるいは、常磐線のあの駅のホームでと 涙を抑えきれず、人目はばからず、 ぐすぐすと涙を流すほかないことが何度かあった。 子を亡くした親の涙は、どうしようもなく、切なく、苦しかった。 この本ができてから4年の歳月がたった。 上梓されてから、実は一度も開くことがなかったが、 今日、久々に全編を眺めてみる。 自分にもようやく、そんな力が出てきたのだと思う。 カバーの両袖にM子さんの願いを配置してあった。こんな編集だったのかと、 そんなことも忘れていた。 ・抗ガン剤が終了して二度とうたなくてすむように ・体重がこれ以上へりませんように ・フラフラになりませんように ・毎日元気ですごせますように ・髪がいっぱい抜けませんように ・ガンが再発しませんように ・ごはんが一杯食べられますように ・うっとうしい事がないように 聞かなくてすむように ・あらそいがないように ・元気になってフラダンスを習いに行けますように ・英語がペラペラになりますように ・タヒチに行けますように ・おなかが痛くなりませんように (一行空いて) ・普通が一番幸せです T子さんの「あとがき」の末尾には こう記されている。 ──あなたを娘に持てたことを心から誇りに思います。 いつまでも、いつまでも。 I love you. 絶対者としての神をもたないぼくたちにしても、 M子さんの「生」と「死」が 祈りを深めることの大切さを教えてくれたのだった。 そして、深層の自分から搾り出した「ありがとう」という言葉を吐ける 希有なる体験をさせてくれたのである。 以来、T子さん夫妻とはお会いしていないが、これでいいのだ、と思っている。
by riverpress
| 2008-11-30 23:25
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